いげ日記

外出の記録その他

10/3 礼文③

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前回のつづき。

「ちどり」に行った記憶はうっすら残っている。たしか入ってすぐ左手に座敷があり、そのテーブルの真ん中で魚を焼いたのだ。私と妹たちは途中で飽きて、店の外で遊んだりした。

実際に店内に入ってみると座敷は左右両側にあって、奥にはカウンター席もあった。自分のほかに客は1組で、漁師のようないでたちの中年男性3人がビールを飲みながら魚を焼いていた。

初めは何を食べるか決めていなかったし、ひとりで座敷の大きなテーブル席を陣取るのも忍びないのでカウンターに座った。でもランチのメニューを見ていたら、やっぱりせっかくだからちゃんちゃん焼にしたくなり、店のおやじさんに座敷を案内してもらった。

席に着いたらもう炭には火が入っていて、少し待つとネギと味噌が載った生のホッケが出てきた。火が通りやすい尻尾の方から食べるらしい。焼けるのを待っている間にお昼を食べに来た客が続々入ってきたが、入り口に背を向けて座っていたので地元の人なのか観光客なのかを観察できなかった。その中に一人、明らかに観光客の男の人がいて、私のテーブルで相席になった。同じくちゃんちゃん焼を注文していた。

さてそろそろ食べられるかなというところで写真を撮ろうと思い携帯を取り出したのとほぼ同時に店のおかみさんがやってきて、「そろそろいいよ、こうやってほぐしてたべるんだよ」と言って尻尾の近くの身をほぐしてくれた。だから私の携帯に保存されているちゃんちゃん焼きの写真は身がグシャグシャである。

ランチセットはホッケの他にごはん、味噌汁、切り干し大根、たくあんが付いてきた。ネギ味噌で和えたホッケはすごくおかずになる良い具合のしょっぱさで、味噌汁もかなり私の好みでやさしい味。ごはんをモリモリ食べた。ただ、かなり空腹の状態で臨んだが一人ぶんの定食としては結構量がある。同年代の女性より比較的食べる方の私だが、ホッケを半分も食べたところで明らかに失速した。おかみさんが途中で「皮も食べられるよ」と教えてくれたが、とてもそんなには食べきれない。本当にもったいないし悔しかったが、結局ホッケ1割くらいとごはん少量を残してお勘定してしまった。1,400円。

外は雨がさらに強くなっていて、迷わず「うすゆきの湯」へ向かった。この「礼文島温泉 うすゆきの湯」は「ちどり」の斜向かい(というにはすこし距離があるか)にある日帰り温泉施設で、初めに喫茶店をさがしていたときにチェックしておいたのだ。こんな天気の日はもうのんびりを決め込んだ方がいいと思った。開店時間までまだ少しあったので、入り口前のベンチで待った。

しばらくして車で来たおばあちゃんたちがまだ明かりのついてない入り口から普通に入っていったので便乗してみた。2階へ行くエレベーターに乗るとそのおばあちゃんが「10月からは13時に開くんだよ~待ったでしょ~」と話しかけてくれた。9月まではもっと早くに開くらしい。

券売機でチケット(600円)を購入したあと他の客に倣ってロビーのソファで少し待ち、スタッフの人から声がかかってから浴場へ向かった。ジャグジーとぬる湯、露天風呂に少しずつ入るぐらいにして、わりとすぐに上がった。利尻富士も見えるロケーションだそうだが、やはり天気のせいであまりわからなかった。

マッサージチェアに背中をゴリゴリしてもらったあと、お腹いっぱいなのにロビーの自販機でアイスを買って畳の休憩スペースで食べた。ちょっとだけと思って横になったつもりが、気が付いたら15時近くなっていた。帰りのフェリーは15:50である。

のんびりすると決めたものの、なんとなくもったいないない気持ちになり急いで外に出た。なんと雨が止んでいる。時間は残りわずかだが、母の友人宅があったというあたりを歩いてみることにした。

つづきは次回。

傘がなくなっていく

家から傘がなくなっていく。

1年前に引っ越してきたときは、たしかに5本以上はあった。ニトリで買った4本分の傘立てからあぶれた分をそこらへんに立てかけていたから確かだ。たぶん7-8本はあったはずだ。

だけど今は4本しかない。それもビニール傘だけがなくなっている。

ビニール傘はなくしやすい。他の人のそれと区別がつかないので間違って持ち去られたり、意図的に盗まれたりする。安く手に入るから、どこかへ置き忘れてたとき取りに戻ることもない(戻っても大概みつからない)。

犯人は自分じゃないから旦那で確定だ。会社に置いたままにして溜めているのか、どこかでなくしたのか知らないが、今ある4本はもらいものの変な柄の傘が1本と私の傘3本。彼にはあと折り畳み傘しかない。

私の傘までなくなると嫌なので、新しいのを買ってあげる予定。

子供産むから生活費仕事家事育児介護どれか免除してくれないかな

いまはニートだけど、できるだけ近いうちにはまた働きたいと思っている。

だけど働くにしても色々な選択肢があって、安易に選ぶと人生詰んでしまいそうで決めかねている。

大前提として、数年以内には子供が欲しい。だから出産や育児によるブランクに影響しない仕事を選ぶか、雇われずに稼げるようになるか、共働きしなくても子供が不自由しないくらいの生活水準を保つ方法を考えなければならない。

 

復帰できる可能性が高い雇用形態はやはり正社員だろう。そうすると多くの場合フルタイムだ。

ほんの1ヶ月ほど前までは私もフルタイムの正社員だったが、旦那の帰りが終電またはそれに近い遅さなので、家事もほぼ100%私がやっていた。べつにそれだけでイッパイイッパイだったというほどでもないけれど、そこに今後育児が追加されたらなかなかヤバいことは想像できる。

ヤバいといっても全く手が回らないということはないだろう。みんなそれなりにやっているのだし。

だけど最近ニートになってわかった。時間に対してタスクに余裕があると、夫にやさしくできる。これは共働きの時にはなかった現象だ。

子どもがいない今でさえ、仕事と家事を両立していたときは常に気分がピリピリして、夫が皿を片付けないだけでイライラ、夫が夜遅くまで携帯をいじっているだけでイライラ、場合によっては顔を見るだけでイライラしていた。いつも「私だって働いてるのに」が付きまとい、自分と夫の仕事量を比べては、家事に報酬が発生しないことを嘆くなんていう何の解決にもならないことをしていた。

それで育児まで重なれば、経済的な余裕はできるかもしれないが、それに反比例して精神的な余裕がなくなると思う。いつも家族みんなニコニコ楽しく暮らすなんてできない。好きなことをするなんてもってのほかだ。現に共働きで子持ちの友人たちは自分の時間をほとんど持てていないようだし、今まで付き合いのあったコミュニティからは自然と孤立している。

さらにもう少し先の未来には介護も追加されるだろう。それがいつどのタイミングかはわからない。親がもっと年老いてからとも限らない。育児がピークのときに重なったら最悪だ。実家が遠い我々にとってかなりの厄介ごとになるのは目に見えている。私の両親も車で5分の距離に住む祖母の介護をするのさえなかなか大変なようだ。

子どもはそのうちほしいけど、そんなことを思うと先延ばしにしてしまいたくなる。子供産んで少子化の歯止めに貢献するからどれかひとつでも免除してほしい。

 

じゃあフルタイムで出勤しなくてもいい派遣やパートが良いのかというと、それはそれで決めかねる。容易には復帰できなさそうだし、福利厚生が正社員に劣るのは一般論でも実体験でも知っている。

それに子持ちで働くなら保育園が必要だ。お金をかけて預ける以上、採算が取れなくなっては元も子もない。それなりの収入が見込めなくてはならない。

正社員に比べて収入が低い場合がほとんどだろうから、食事を外食や既製品で済ませることもしょっちゅうはできなくなる。そうすると昼食(弁当)含め自炊は必須で、結果的に忙しくなってしまうかもしれない。

 

いちばんいいのは夫がひとりでめちゃめちゃ稼ぐことだ。それも楽して。どんなに稼いでくれたとしても、体を壊したりいつも不機嫌だったりしては意味がない。これはまあ、期待しない方がいい。

 

なんにしても、精神的な余裕をもって子育てライフに臨みたい。自分の時間がしっかりあれば(今はありすぎだが)、こうしてブログを始めてみるなど好きなことができて、機嫌よく優しくいられる。教養を付ける機会もある。いろんな手料理を用意して、夫が帰ってくるのが毎日楽しみに待てる。夫も機嫌がよくなる。夫婦円満。

 

だけど時間があるほど収入はなくなるし、収入を望めば時間はなくなる。

 

「両立ができる」と「精神衛生を保つ」は当たり前だが別物だ。忙しい自分が好きな人は今の社会構造を利用して存分に忙しくすればいいけど、私みたいなタイプはどこに落としどころを見つければよいのだろう。

 

結局こうして書いてみても答えはでないのでおわり。

SNSで私事ですがっていう人

私の世代だと結婚・出産報告がとにかく多い。

そしてSNSに書く人も多い。

実際それはとても便利である。私が結婚した時も、直接に連絡すると返事をしなきゃいけなくなって相手に面倒をかけると思ったので、SNSで雑に報告してしまった。

 

しかし私がどうしても気になってしまうのは、「私事ですが」と妙にへりくだって始まる投稿である。

会社など公の場であれば適切な前置きだとは思うが、個人のSNSって本来私事を好きに投稿するものではないのか。

それに自分の報告とほかの投稿の差別化を狙っている感じや祝福の言葉を催促する目的が透けて見える気がしてうすら寒い。

しかも本当に私事だと思っているならできるだけ簡潔にあくまで報告にとどめておけばよいものを、そういう投稿に限って馴れ初めや意気込み、結婚式の感想などを延々と書き連ねてある。

 

もちろん私はSNSを利用するにあたり「嫌なら見なければいい」を前提にしている。友人の結婚や出産を素直に祝う気持ちもあるし、既婚だからべつに嫉妬もない。

ただなんとなく、「私事ですが」の背後にある矛盾が気になってしまって仕方がないのである。

 

おわり

 

10/3 礼文②

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前回のつづき。

徒歩で観光するにはそこそこ強いレベルの雨のなか、フェリーターミナルから香深のまちへ向かう道はほとんど人気がなく、たまに車が通り過ぎるだけである。こんなにさみしいところだっただろうか。

とりあえず事前にネットで調べておいた喫茶店をさがすことにした。人に会いたいし座りたかった。

ところが住所の界隈を何度歩いても全くそれらしい店が見当たらない。よく見るとその住所も「北海道礼文郡礼文町大字香深村字トンナイ」と番地がなく漠然としている。このあたりは番地が振られていないものなのだろうか。晴れていれば意地でも辿り着きたいところだが、雨のせいで心が折れてしまった。

目的を変更して礼文小学校に行ってみることにした。礼文小学校は母の母校であり祖父の元勤務先である。海沿いの道路から一本内側に入ると、町役場近くの交差点から「学校坂道」と書かれた茶色いトンネルのような通路が見えた。このちょっとした山道を貫くように設置された「学校坂道」を抜ければ小学校があるのだろう。部外者が上っていいのかどうかはわからなかった。

外観からもわかったがドアを開けてすぐ階段があり、ところどころで死んでいる白い蛾に怯えながら上った。階段を上るのが思いの外しんどく、自分の中学校も長くて急な坂の上にあったことを思い出した。ともあれ雨をしのげることがありがたい。しばらく上ってトンネルは左に折れ、また少し上ったところに出口があった。出口の扉は開けたままになっていた。

出口の外に立つと目の前が駐車場になっていた。そのすぐ奥に中学校の校舎、右手に小学校の校舎がある。中学校の玄関ではヤクルトレディと思しき女性と先生らしい男性が立ち話をしている。

さすがに学校の中に入ってしまっては完全に不審者なので、校舎を眺めながら小学生の母と若き日の祖父を想像してしばし感慨に耽ったのち、左手に見える下り坂から戻ることにした。

左手に香深の港を、右手に山を見ながら歩く。天気が良ければ港の景色もきれいなのだろうが、雨と雲のせいで海も街も灰色がかっていた。車道より一段高い歩道らしき道には、山の斜面から雑草がせり出しており、道として機能していなかった。

だいぶ下ったところで道路が島の反対側に行ってしまいそうな方向へ反れていたので、民家や飲食店(営業しているのかは不明)がある方へ曲がった。フェリーターミナルにあった「武ちゃん寿司」の本店と思われる建物も見つけた。狭い下り坂を歩く途中、近所のおじさんが「こんにちはー」と挨拶してくれたのが嬉しかった。徒歩の島民とすれ違う機会が本当に少ないのだ。

喫茶店を探している時に何度も通った道に出た。まだ昼前だったが、なんだかもうくたびれてしまった。喫茶店に寄れなかったのでおなかも空いた。予定よりかなり早いが、仕方ないので「ちどり」へ向かった。昔家族で夕飯を食べたちゃんちゃん焼きの店だ。場所は喫茶店を探した際にチェック済みである。

つづきは次回。

 

がんばるベクトルが変な人たちの観察

毎日ニートなので、過酷な労働環境に置かれている人についてネットで調べている。

私も会社でいじめられるなどなかなか気の滅入る思いをしたことはあったが、辛さのカテゴリーとして「激務」に該当する経験はなかったので、そういう環境がどのようにして生まれてしまうのかを想像できない。仕事に合理性を優先させない企業体質が問題なのではないかと推測するが、たぶん一概にそうとも限らないのだろう。

ネットで知り得た範囲では、追い込まれて鬱になったり自殺したりしてしまう人たちはとりわけ真面目なタイプのようだ。「もっと頑張っている人はいる」とか「この程度のことに耐えられないのは甘えだ」とかいう体育会系な思考が脳内を占拠してしまうらしい。

この体育会系みたいな叱咤激励、習慣、風潮が私は本当に嫌いだ。その多くは根拠がよくわからないし、成果が得られる類のものでもない。根底にはやっぱり、忙しさや辛さを美徳とする考え方があるのだと思う。そしてこうした考え方が邪魔をするので職場の仕事の効率は一向に上がらない(効率よく仕事を済ませて定時で帰っていた私より、タイヘンダタイヘンダとわめいて何も進んでいない馬鹿の先輩が評価されていたのもそのせいだ)。

だからみんな仕事の本質とは外れたところで変にがんばることに気をとられ、メンタルが変になって、だれも望まない結末になってしまうんじゃないかと思わずにいられない。がんばるべきところがおかしい。

ちなみに私は勧められた酒を飲むのさえ嫌だ。断るのは失礼にあたるなどと言い出したのは誰なのだろう。飲酒は少なからず体調に影響するのに、そのペースを本人が決められない文化に納得できない。自分に合った酒の飲み方をするのは立派な自己管理の一環だ。幸い私は女だから無理強いさせられることは少ないが、飲めないのに飲まされている男の子を見ていると本当に腹が立つ。

本件についてはこれからも世の中を観察し続けたい。

不良品のストロー

妹といっしょに某飲食店へ行ったときのこと。

アイスティーを飲もうとしたのになんかスースーいって全然吸い込めない。

よく見たらストローの上のほうにキズが付いていてそこから空気がもれている。

店員さんを呼んで、「すみません、ストローに穴あいてるので替えてもらえませんか」と言った。

すぐに新しいのに替えてくれたが、妹が「ストローは穴あいてるよ」と言った。

ほんとそれ。