荷物届くの早い
今の時代、ネットでなにか買うとすぐ手元に届く。ふしぎな気がする。
なにも指定しなくても、大体2日後にはほとんどのものが届くので、そんなに急がなくてもいいのにとさえ思う。
特にAmazonでいう「お急ぎ便」的なやつは、本当に緊急でなにかがほしい人にはありがたいサービスだろう。
でも届ける人に負担をかけては悪いと思ってまだ使ったことがない。
いつだったか忘れたが、テレビで宅配業者の人員不足や留守で受け取ってもらえない荷物が増えたことを特集していたのを見たことがある。
それ以来、自分から見れば業者のサービスでしかなくても、届けるのは個人なんだよなあと思うようになった。
だから私は、届く時間がわかっているのに再配達してもらえばいいからと言ってインターホンが鳴っても起きない旦那が許せない。
一方で会社勤めの一人暮らし世帯など、どうしても家にいられる時間が限られる場合があるということも、自分がそうだったからわかる。
そんなときのために宅配ボックスなるものが存在する。
もちろんすべての集合住宅に設置されているわけではないが、これはなかなか便利なものだ。
だけどこの宅配ボックスに甘んじて全然取り出さない人もたくさんいるので、すぐにいっぱいになってしまう。
以前住んでいたマンションでは宅配ボックスが5個(単位がわからない)しかなく、私が荷物を受け取り損ねると「宅配ボックスがいっぱいでした」と書かれた不在票が入っているパターンが何度もあった。
ちなみにそのさらに前に住んでいたマンションは身に余るハイグレードな賃貸住宅で、宅配ボックスもかなりたくさん設置されていたためさすがにそういうことはなかった。
なんだか最近の消費者は、サービスに甘やかされすぎてワガママになっている。だから企業がブラックになるんだと思う。自動化が進んではいるけど、結局人がやってくれてる仕事なんだから買う側ももっと優しくしてあげてほしい。
毎年「このくらいの雪で」っていう人
今日は東京に雪が降った。東京における11月の積雪は、統計開始以降初とのことで、上京して10年(厳密にいえばそのうち4年は埼玉)になる私もびっくりである。
東京に雪が降ると色々と混乱が生じる。テレビでも大々的に報じられる。こうして東京が雪に翻弄され始めると、必ずそれをとやかく言いたがる人が出てくる。主に「東京はこのくらいの雪で騒ぎすぎ」といったものだ。おそらくそのほとんどは、東京よりも積雪の多い地域出身の人によるものだろう。巷では「北から目線」というそうだ。
私自身、豪雪地帯とは言わないまでもそれなりにまとまった雪が降る場所で育ったが、そうした「北から目線」発言にはものすごい違和感がある。なんだかこっちが恥ずかしいような痒いような、情けない気分になってしまう。
そもそも人口密度が他の地域とは圧倒的に違うから、雪が原因でなくとも電車がちょっと遅れただけで都民は混乱する。つまり雪そのものに驚いて騒いでいるのではなく、雪によるインフラの不具合に振り回されているだけなのだと私は思う。インフラが雪に対応していないのだって雪対策への投資が不要と判断されているからなのだろうし、そこらへん考慮した上での発言なのか甚だ疑問である。
ついでに言うと、地方出身者による「田舎アピール」にも同様の恥ずかしさを感じる。東京で何かあるとすかさず「うちの地元なんて」で始まる田舎自慢を始める人がたまにいるが、彼らは自分の地元だけが田舎だとでも思っているようである。3分に1本電車がくる都会の方がスゴイだけであって、電車が1時間に1本しか来ないことを珍しく思わない人は多いはずだ。
都民なんて田舎者の集まりなのだ。私の周りだけで考えても生粋の東京都民の方が少数派である。他の田舎から出てきた人に向かってドヤ顔で田舎自慢をしている自分の愚かさにそろそろ気づいた方がいい。
大体それぞれの地域がそれぞれの環境に合ったつくりをしているのだから、地域によって珍しい事象は違って当たり前である。東京は積雪が少ないからインフラやノウハウが雪に対応していない。北海道は雪が多いが台風は少ない。逆に沖縄は台風が多いが雪は滅多にない。都市部にはスタバがいっぱいあるが田舎にはなかなか来ない。田舎には自然がいっぱいあるが都心には少ない。
こういうのってなんか苦労を美徳にしたがる日本人の性質が如実に現れている気がする。東京の弱みに目くじら立てて、いちいち鬼の首を取ったように騒ぎ立てる奴のダサさが私は耐えられない。ほんとに聞いてるこっちが恥ずかしいからやめてほしいと毎年思っている。
ぽぽぽぽーん
けさ早くに地震があったので、ニュースでは海岸の映像がずっと流れていた。
私も日本国民の一人として東日本大震災を思い出したわけだが、不謹慎な話、家族や友人が全員無事だった身としては、地震のこわさや悲しい思い出よりもそのときの環境ばっかり記憶に残っている。
やはりテレビにかんして言えば頭に浮かぶのはもっぱら「ぽぽぽぽーん」である。
さてそのACジャパンのCMで流れていた「ぽぽぽぽーん」を含む歌、歌ってみたら歌詞を全然覚えてなかった。
だから早速調べてみたところ、意図しない都市伝説が出てきてしまった。
そのページに「死者」とか「霊」とかいう字があるのを視界の隅で捉えてしまい、怖くなってブラウザを閉じた。
都市伝説はこわい。
おわり。
5年あれば
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
大学に入学して卒業してもおつりがくるし、小学5年生が高校生になるし、生まれた子が着替えや食事など自分でできるようになる。
それに比べて直近5年の私はほとんど進歩してない。社会に出て5年以上経つというのに、仕事のしかたを覚えたくらいで他に何もしてない。
これから5年後にどうなるかなあと考えた。5年もあれば何か難しい資格を取るとか、新しい趣味に手を付けて極めるとか、子どもを産んで育児を始めるとか、いろいろできるだろうけど、自分としてはあんまりすごく魅力には感じなくて、メインであってほしくない。
それより好きな本をぱらぱら読んで、ときどき余所の土地に憧れて出かけてあるっては日記を書く、みたいな体験をいっぱいしたくて、だけどそれだと今よりちょっと贅沢してるだけだし全然誰にもほめられないしなにより一銭の稼ぎにもならない。
先のことを考えようとすると、なんか変わってなきゃとか、今より良くならなきゃとか、そういう暗黙のプレッシャーを勝手に感じがちだけど、むしろ成人するまでの成長スピードが異常だっただけかもしれない。
20歳も過ぎれば姿かたちは大概変わらないしもっと経てばどんどん老いていくだけだ。脳みそも老いるから能力も老いる。
それでも経験値はそれなりにたまるはずだ。時間が経つっていうことは多くの場合経験値が増えるということだ(監禁されて長年何も見聞きしてないとかいう場合は別として)。
だからその経験の結果として何かを成し遂げたり変化したりする人はすればいいし、そうじゃなかったときも別に自分ダメだわみたいな感じでガッカリすることもなくて、とりあえず喜怒哀楽古今東西老若男女縦横無尽でOKなのかもしれない。
だから5年後の自分に何か言うとしたら、
「なんか楽しいことあった?」
とかそんなところですかね。
よくわかんなかった。おわり。
漢検1級に思考停止
ノリで漢検1級に申し込んだ。5000円もした。
難しい言葉を覚えたら楽しいかなと思っただけだったので、受検そのものは記念みたいなものなのだが、購入したテキストを見て思考停止した。
完全にマニアの力試しである。受検のするしないに拘らず、そう簡単に覚えられるラインナップではなかった。
申し込んだ後で調べてみたら、対象漢字は6000字で地名や古典も含み、ボーダーラインは80%、合格率は約10%。
だいたいこんなの申し込み開始日を過ぎてから勉強を始めたこと自体が間違いで、普段大して漢字に関心のない者が付け焼刃の知識で冷やかしにいくべきではない。漢字への冒涜である。解答欄に何も書けなくて時間を持て余すに決まってる。
今更あとに引けないのでとりあえず小学生向けの漢字ノートを買ってみた。
まだ1文字も練習してない。
ずっとなんか食ってる
ニートになってからずっとなんか食ってる。
朝起きて納豆ご飯をたべるのはいいとして。
ままどおる食べたり。
カナダ土産のチョコ食べたり。
カルピスの原液を牛乳で割ったやつを飲んだり。
おしゃぶり昆布食べたり。
おせんべ食べたり。
昼にはまた納豆ごはんかバターだらけのマッシュポテト。
そのままちょっと昼寝するか近所の喫茶店でケーキと紅茶。
夕飯の買い物してきたついでにサラダをフライング。
止まらなくなって結局なくなるまでサラダを食べ続ける。
そして夕飯にまた納豆ごはん。
旦那が帰ってくるころには食欲が終わってる。
思えば会社員してたときも引き出しにいつもなんか入っててずっとなんか食ってた。
つまり仕事に関わらずいつもなんか食ってる。
傘がなくなっていく
家から傘がなくなっていく。
1年前に引っ越してきたときは、たしかに5本以上はあった。ニトリで買った4本分の傘立てからあぶれた分をそこらへんに立てかけていたから確かだ。たぶん7-8本はあったはずだ。
だけど今は4本しかない。それもビニール傘だけがなくなっている。
ビニール傘はなくしやすい。他の人のそれと区別がつかないので間違って持ち去られたり、意図的に盗まれたりする。安く手に入るから、どこかへ置き忘れてたとき取りに戻ることもない(戻っても大概みつからない)。
犯人は自分じゃないから旦那で確定だ。会社に置いたままにして溜めているのか、どこかでなくしたのか知らないが、今ある4本はもらいものの変な柄の傘が1本と私の傘3本。彼にはあと折り畳み傘しかない。
私の傘までなくなると嫌なので、新しいのを買ってあげる予定。