会社の業務しかできないおじさん
先日アルバイト先に出社すると、40すぎの男性社員がオフィスの床にコーヒーを1杯まるごとひっくり返していた。カーペット敷きの床には盛大な黒いシミができている。
すると彼はあろうことかシミの上から塩素系漂白剤の原液を撒き始めた。それをさらに雑巾ゴシゴシこすっていた。雑巾を素手で持って、換気もせずに。
結局その日は塩素→雑巾→塩素→雑巾を4~5回繰り返し、きれいになったと満足気だった。一日中濃厚な塩素臭を嗅がされた周りの人間はたまったものではない。
彼の中にはシミ抜きという概念がないのだろう。中性洗剤でたたくこともなくいきなり漂白剤である。カーペット自体の色まで抜けてしまう可能性だってあった。他の社員から「すごい臭いですね」と言われても「俺こういうの平気だから」と見当違いな応答。自分は平気でも周りが平気じゃないことに気付けない。そもそも普段から蓋のない容器に入ったコーヒーをよく机上にひっくり返していたのだから、その時点で改善の余地は十分あったはずである。お客様の目につくところだからきれいにせねばなどと余計なプロ意識を発揮させてはいたが、リスクヘッジを怠り間違った対処で職場の労働環境を悪化させた彼は会社員として使えないどころか民間人としてさえ迷惑な人間であるといえる。彼はこの一件に限らず様々な場面で配慮に欠いた行動を見せ、同僚や部下たちは被害を被り続けている。
彼に限らずこれまで属した職場や日常生活おいても、同様の迷惑ぶりを振るうおじさんは一定数散見された。思うに、ある種のおじさんに多くみられる傾向として、会社での業務以外一切できないというのがある。一般に彼らは会社で働く自分に満足してしまっているようで、業務と直接的な関係の薄いものごとに関しては引くほど疎い。とりわけ年功序列で不相応な高い役職に就けてしまったおじさんに関しては目も当てられないほど何もできない。おじさんという人種は会社からそれなりの収入を得てさえいれば家庭でも社会でもデカい顔ができるのである。おばさんだったらそうはいくまい。彼らは家庭に金銭をもたらすが、それ以外の場面では迷惑ものでしかないことが容易に想像できる。それゆえ家庭では邪険に扱われている様子も普段の会話の中から垣間見られる。
塩素臭の愚痴を書きたかっただけなのだが思いがけず使えないおじさん全般の中途半端な批判になってしまった。とりあえず、塩素系洗剤の使用を免許制にしてほしい。危険な使い方をするやつはけっこう多い。
インフルエンザと思ったが全然熱なかった
昨日ものすごい寒気とだるさを感じて会社を早退し、家に帰ったら熱はなかった。だけどそれでもすごく寒いしときどき暑いので、そのうち熱が上がるに違いないと思い何度も測ったが結局今朝まで熱はでなかった。
「熱がある」というのはほかのどんな体調不良よりも一番パンチの効いた説得材料となる。具合が悪い気がするけどそうでもない気もするとき、体温は体調の指標になる。それを知っただけで「自分は病気なんだ」と感じるし、家族や会社にもわかってもらいやすい。
昨日の私はこんな中途半端に具合が悪いならいっそインフルエンザにかかって誰もが認める病人になってしまいたかった。そのためには熱がなければならないと思った。ネットの情報によるとインフルエンザでも熱が出ない場合はあるそうだが、熱がないならわざわざ病院へ行って検査するのも躊躇われる。
かくして朝になっても熱が出なかった私だが結局会社を休んだ。また昨日のように調子が悪くなったら面倒だし、上長が私の仕事を他に振ってくれていた様子だったからである。
ちなみにインフルエンザには生まれてこのかた罹ったことがない。
逃げるような買い物
結婚してからもずっとひとり暮らし向けの冷蔵庫で頑張っていたのだが、いよいよ限界を感じた私は、今日満を持してヤマダ電機に行った。
初売り期間の三連休だからか、客だけでなくスタッフの数もやたら多かった。サイズや容量、ほしい機能などを踏まえて目星をつけた冷蔵庫たちの型式を控えてきたのだが、メーカー名や型式を確認しているだけで店員がどんどん寄ってくる。
店員たちはすぐには話しかけてこないものの、歩き回る私と一定の距離を置いて少しの間尾行したあと、それなりに真剣に見ていることを確認すると横からヌッと現れて聞いてもないことを一方的に説明し始める。
冷蔵庫売り場だけでも店員が10人以上いるようで、ひとり断ってもまた別の店員がすぐに近づいてきて実に鬱陶しい。私だって買う気で臨んでいるのだからそれなりの判断基準を持ってきているわけで、その上で店頭の価格を見てスペックとのバランスをじっくり比較したいのに、話しかけてしまってはそういう作業に取り掛かることができない。つまり邪魔である。
たくさんいる店員から逃げるようにして冷蔵庫をチェックするのはかなりストレスがたまる。そんな努力もむなしく神出鬼没な店員たちに何度も捕まっては断った。
あまりにしつこいので話を聞いてみると、店員はやたら今日購入を決められるのかを確認したがり、独断では買えないので持ち帰って少し検討したいと言うと急に冷たくなるのでなおさら腹が立つ。売りたいのはわかるが自分から話しかけておいてそれはないだろう。失礼極まりない。もらった名刺を見たら主任と書いてあったのでなんだか呆れた。
結局うるさすぎて嫌になり、カタログだけもらって帰った。もう行きたくない。
ヤマダ電機は今日、見込み客をひとり失った。
子供産むな問題
前の職場で異動の辞令をもらったとき、異動先の部署にいたのは年齢が一回りほど上の新婚夫婦1組だけだった。
私も時期を同じくして結婚したわけだが、異動の直前に役員から呼び出され、こう言われた。
「あなたは若いから出産はまだいいよね?先輩の年齢考えてね、先輩が先だからね」
反論するのもばかばかしくて、本当に妊娠される前にさっさと辞めた。
そのとき私に子供の予定があれば、そんなの無視して産むことだってできたわけだが、そもそもこういう思考を持ったバカの下でなんて働いていられない。
私の事例に限らず人事が自転車操業状態だったし、社員の家族計画の自由を考慮できない会社なのだと思わざるを得なかった。
同じようなハラスメントを黙認しながら働く女性もいっぱいいるのだろうが、だからといって自分もそうしたところで何の利益もない。
そんな背景があっても、今の日本社会では辞めた方の負けだ。
仕事より家庭を優先すると思われては正社員での再就職ができなくなる。
社会人としての"活躍"だけが推奨されて、家庭人としての"活躍"は誰にも評価されない。
いわゆる「日本死ね」である。
どんなにお金をもらっても日常は返ってこないんだからさ
原発事故に伴って県外へ避難した子供へのいじめが取り沙汰されている。
手当をもらっているからといってカツアゲに遭った子供までいるという。
理由が原発であるのとないのとに拘らず、いじめなんかをする子供本人ももちろん悪いが、手当の話に関してはそんな情報を子供に吹き込んだ周りの大人も名乗り出て謝ってほしい。
たしかにコミュニティにおいて少しでも珍しい存在は噂や除外の対象になりがちなのはわかるし、私自身全くそういうことをしないと言ったら嘘になる。
でもだからといって「原発事故でお金もらってるのズルイから」ってそんな幼稚な話があってたまるかいな。
今まで揺るぎなく当たり前にあったはずの暮らしが、ある日突然予告なく崩壊したのだ。
自分だったら発狂すると思う。
ここでは自主避難であるか否かやその地域の線量が実際どの程度のリスクなのかなどは関係ない。
誰の判断で避難したにせよ、線量がいくらであるにせよ、事故前と全く同じ環境はどんなにお金をもらっても買えないし、二度と返ってこない。
そんなことも慮れない大人たちがまだ十分な分別のつかない子供の周りにいるなんて気味がわるい。
あるいはいじめた子供が自分の判断で、手当の話を持ち出したのだろうか。
だとしたらもっと気味がわるい。
ダイコンサラダ論争
大根サラダのことで旦那と大喧嘩した。
旦那は最近太ってきたのを気にして、夕飯の白米を大根サラダに置き換えるよう頼まれている。
ニートだから断る理由もないし、仕方ないので毎日用意しているのだが、先日久々に白米を食べた旦那がとても喜んでいたので、翌日は大根サラダでなく白米を提供してみた。
そのとき旦那が発した一言が私は許せなかった。
こちらである。
「明日からはまた大根でいいよ」
「でいいよ」ってなんだよ。
確かに勝手に白米に戻したのは悪かったけど、こっちは本来米を炊いてさえおけば済むところをわざわざ大根刻んでるんだよ。
「大根でいい」じゃなくて「大根がいい」だろ。
ところがそれを伝えると、「じゃあ自分で作るからいいよ」などと言い出した。
こういう展開になるのが一番嫌いである。
私の手間に対するリスペクトが感じられないから怒っているのであって、作らされていることに怒っているのではないのだから、これでは議論にならない。
旦那に限らず、男は本当にそういうところがあるから嫌だ。
問題の本質をすり替えて勝手に収束させようとする。
しまいにはこちらが何を言ってもため息をつくばかりで話にならなかった。
めんどくさいので謝ったが、本当はまだ許せない。
ただの愚痴であった。
おわり
女だから家事してるんじゃないって
私は男女で役割を分けられるのがけっこう嫌いな方だ。
もちろん性別によって少なからず向き不向きがあるのはわかる。
特に力仕事なんかは特別に鍛えている少数派を除き、女性には不向きと考えるのが一般的だろう。
とはいえ役割の適性を検討する際に性別を根拠にされるのはナンセンスである。
だから前の職場でシステム部門に配属され「女の子には難しいよ」「女の子はお手伝いができればいいから」「これなら女の子でもできる」などと上司に言われたときは心底腹が立った。
今時ここまで古ぼけた価値観を披露する人種が存在すること自体驚きだがそれはさておき、このように女性を力不足と決めつけた発言は未だになくならない。
(ちなみにこの会社では「女性営業」と呼ばれる謎の役職があり、それは単に営業職をやる女性を指すのではなく、男性の営業活動を"お手伝い"するというポジションであった。そのため「女性営業」の社員たちは自分が営業活動をするためには男性社員に仕事をもらう必要があり、いわゆる社内営業が主な業務となっている有様であった。)
そのわりに私は仕事より家事に力を入れたがるタイプなので誤解されやすい。
私は別に「自分は女だから家庭に入って家事に徹するべきなのだわ」などと思って家事をしてるんじゃない。
もし、逆に私が会社に行って旦那が家のことをした方がうまく回るのならそうするべきし、仕事も家事も二人で分担できるのならそうするのがベストだ。
だけど旦那は平日家のことをする時間なんてないし、私よりも稼いでいたし、本人はそんな自分を気に入ってもいる。
そして私は家事を効率よくこなすのが得意で、会社での仕事も別にできない方ではないが給料がいまいちだしやりがいもなく、仕事のせいで家事のクオリティが落ちることに嫌悪感があった。
このようにたまたま自分は家事、旦那は外で働くのが向いているから、それぞれの得意分野を活かして家庭の全体最適を図っているのだ。
だったらもう旦那が仕事に全力を出せるよう私が家のことを全部やれば、旦那のパフォーマンスが上がり、昇給のチャンスも広がるというわけだ。
私が家にいる限り、旦那を一度たりとも遅刻させることはないし、綿密な計画のもと購入される食材によって食費の抑制もかなう。
一億総活躍社会だかなんだか知らないが、社会での労働だけを活躍と呼ぶ風潮も私は大嫌いだ。
確かに仕事に家事に育児にとひとりでこなしている人は確かに活躍しているといえる。
だが社会に出ずに(あるいは社会に出る時間を限定し)家のことに力を入れている人もたくさんいて、そうした人たちが活躍していないということにはならない。
私は女性としての自分に甘んじたり諦めたりしているわけではなく、私という個人の適性と希望によって家事を頑張ると決めたのだ。
夫婦の役割分担を「夫だから」「妻だから」で決めるのは時代遅れだし、かといって男女平等とは妻だけがなんでも屋になることではない。
だが「妻である私」ではなく「個人である私」が家族内でどのような役割を持ちたいか考えた結果が旧来と同じになる場合もあるのだ。
またアツくなってしまった。
要するにステレオタイプが嫌いということ。
おわり